「両の手に桃と桜や草の餅」は松尾芭蕉の句
ですが、古民家で食べる草餅などを想像すると、
何だか旅に出たくもなりますね。
春は、そんな気分にさせる季節でもあります。
草餅と言えば、蓬餅(よもぎもち)ですが、
「草団子(くさだんご)」とも言われます。
伝統的な和菓子の一種ですね。
蓬の若芽は爽やかな特有の香りがあるので、
それが好まれて使われているのです。
草団子は、まさに、春の和菓子の代表なのです。
ちなみに、季節外れに出回っている草団子の蓬は、
若芽を積んだ後、茹でて乾燥させて保存したもの
です。
そんな草団子ですが、どうやって作るか知って
ますか?
簡単に紹介しましょう。
草団子の作り方は?
草団子は、米やもち米が原料になります。
上新粉(うるち米を加工した粉)、或いは、白玉粉
(もち米を加工した粉)と上新粉を混ぜたものに水
と砂糖を加えて、こねて、生地にして、これを蒸して
餅にします。
そして、これに蓬をすりこぎで搗(つ)き加えて、
適度な大きさに分けて、丸めて作ります。
その際に、小豆の餡(あん)を包んだりもします。
で、この草団子ですが、地方によって、違いが
あります。
新潟では、これを笹の葉に包んでいるのです。
米処(こめどころ)の新潟では、どんな草団子
なのでしょうか?
ちょっと、見てみましょう!!!
新潟の笹団子とは?
新潟の笹団子(ささだんご)も蓬団子です。
新潟県特産の餡(あん)が入った蓬団子を、数枚の
笹の葉でくるんで、菅(すげ)または藺草(いぐさ)
の紐で両端を搾(しぼ)って、真ん中で結んで
蒸した和菓子です。
※同じ新潟でも、その地域によっては、中央で
結ばないところもあるようです。
食べ方は、紐を解いて、バナナのように上半分だけ
を剥(む)いた状態で、下部を持ちながら、かぶり
つくように食べるのが一般的です。
笹には殺菌効果があるとされていて、北越風土記
(ほくえつふどき)によれば、戦国時代に携行用の
保存食として考案されたそうです。
軍神と怖れられた上杉謙信が発明したという説の他、
諸説ありますが、定かではありません。
上杉謙信は、戦国乱世で、文武両道に優れた名将
として知られますが、合戦の際に重視していたのが
兵糧であったと言われています。
軍記の「北越軍談」には、兵糧に関する詳細な記載
が残されています。
上杉謙信自身も、兵糧の研究に熱心だったようで、
今日のいわゆるシリアル食品のような「兵糧丸」
を開発しています。
その上杉謙信が、行軍の際の携帯食として考案した
のが笹団子とされていて、上杉軍の兵士は兵糧として
笹団子を携帯していたと伝承されているのです。
団子の中身は餡だけに非ず?!
笹団子は、新潟県の土産菓子として知られていて、
主要な駅や、道の駅、高速道路のサービスエリア
などで販売されています。
また、上越新幹線の車内販売も行われています。
新潟県民にとっては親しみのある菓子で、給食でも
出されるそうです。
で、団子の中に入れるのは、一般的には小豆餡です
が、一部地域ではこれを「女団子」と呼ぶそうです。
という事は? そうです。「男団子」もあるのです。
中にきんぴらを入れるのです。
つまり、2種類が存在するのです。
かつては、おにぎりの様に、様々な具を入れていた
そうで、梅やかつお節なども入れていたそうですが、
今日、慣習として残っているのは「きんぴら」なのだ
そうです。
また、中に入る具を子供に見立てて、具が入った
物を「子を宿す」という意味から「女団子」と呼び、
何も入っていない団子だけの物を「子を宿さない」
という事で「男団子」と呼ぶところもあるようです。
団子は、かなり古い歴史があるようです。
穀物を粉状にして練った物は、縄文時代から食べ
られているようですし、現在の物と同じような物は、
奈良時代に遣唐使が持ち帰ったとされています。
農村部では、古くから非常食として団子が作られて
いた事からも、戦の時に携帯用の保存食にもなった
のだと言えそうです。
豆知識
茨城県常陸太田市の土産菓子に「ちまき」が
あります。
この「ちまき」の団子は、蓬を用いない白色のもの
ですが、新潟の笹団子が元になっているという説が
あります。
本当のところは、定かではありません。。。
戦国時代に思いを馳せて、あなたも、笹団子を
ひとくち、如何ですか?
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