おいしいおはなし

中国と台湾の関係を知ろう!

終業時間になり、帰り支度をしていると、
学生アルバイトのAちゃんが、
話しかけてきました。

留学生の友達が、日本の文化に興味を持っていて、
ぜひ茶道を、体験させてあげたいとのこと。

ついては、お茶を習っている私に、
お茶のお接待を頼めないか、ということでした。

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「あら、いいですよ。
 ところで、どこの国の留学生?」

「台湾なんです。」

「ああ、中国の方?」

「いいえ、台湾と中国は、別の国なんです。
 パスポートだって、ちゃんと別なんですよ。」

「えっ!そうなの?
 でも、日本では『台湾は中国の一部』って
 言ってなかったっけ?」

「そうなんです。
 世界の多くの国が、台湾を独立した国家とは、
 認めていないんです。」

Aちゃんは、タブレットを操作し始めました。

「日本なんか、台湾に対して
 『台湾は中国の一部であるとの立場を理解する』
 という表現を、使っているんですよ。

 ああ、何回見ても、この言い方覚えられない。」

「何だか日本らしい、はっきりしない物言いね。

 でも、台湾には、馬英九総統がリーダーの政府もあるし
 国土国民もあるのに、どうして国家として
 認められないのかしら?」

「中国が、圧力をかけているからだ、
 と言われているみたいです。」

「中国が!」

「Hさん、中国と台湾のことって、
 どれくらい、知っていらっしゃいますか?」

「日清戦争に勝った日本が、
 中国から台湾を譲り受けて、
 第2次世界大戦が終わるまで、統治していたこと。

 台湾には、日本語を話せる人が多いこと、
 親日家が、多いこと。

 中国と台湾は、仲が悪いこと。
 くらいかな。

 でも、考えてみると、
 何で仲が悪いのかしら。」

「中国と台湾が、仲が悪くなった歴史には、
 日本の敗戦も、大きく関わっているんですよ。」

「Aちゃん、とっても詳しそうね。
 ぜひ、私にも教えてよ。」

Aちゃんが、ちょっと得意そうに
タブレットの画面を、覗き込んでいます。

「私なんか、最初は中国と台湾が、仲が悪いって
 いうことすら、知らなかったんですよ。

 でも、留学生のSさんと、お話しするようになって、
 中国と台湾の関係について、知りたくなって。」
 自分でも、色々調べてみたというのです。

「まず、中国と台湾が仲が悪くなった原因、
 『二つの中国』の誕生について、
 話してみますね。」

二つの中国の誕生

台湾はもともと、先住民が多く暮らしていた
亜熱帯・熱帯の島です。

風土病や原住民の反乱も多く、
中国も「化外の地」としてまともに統治せず、
西洋の植民地になったことも、ありました。

日清戦争後、台湾は日本統治時代
(1895~1945年)に入ります。

台湾は、日本の教育や病院、経済支援などのおかげで、
今までより、ずっと穏やかで、いい暮らしが
出来るようになりました。

親日家が多いのは、この時代があったからこそです。

一方、中国では、1911年に辛亥革命が起き、
清朝が滅び、孫文を臨時大総統とする
中華民国ができました。

革命以降、中国では蔣介石(しょうかいせき)国民党と
軍閥の抗争や、共産党勢力との内戦
深刻な状況が、続いていました。

ところが、1937年の日中戦争を前に、
国民党軍と共産党軍は、内戦を停止し、
一致して、日本軍に抵抗しました。

1941年、日本は日中戦争に引き続き、
太平洋戦争に突入します。

そして1945年、日本は敗戦。
中国大陸及び台湾から、完全撤退することになります。

すると、また国民党軍と共産党軍の内戦が
始まってしまい、敗れた国民党は、
台湾に逃げて、『中華民国』の臨時政府を
置きました。

本土では、毛沢東(もうたくとう)率いる共産党が、
今の中国にあたる『中華人民共和国』の成立を、
宣言しました。

以来、どちらも『自分たちが正しい中国政府』
と主張して、対立を続けてきました。

「ところで、台湾側には
 もう少し、複雑な事情があるの。」
とAちゃん。

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台湾の独立運動

内戦以前からの台湾の住人たち(本省人)を中心に、
中国としてではなく、台湾として独立しよう、
という動きが、活発化します。

2000年に、独立を主張する、
民進党の陳水扁(ちんすいへん)氏が、
総統に就任しました。

2003年9月には、ついに念願の
『TAIWAN』を付記した、中華民国パスポートが、
発行されました。

台湾は一気に独立に傾くか、と思われました。

中国はこのような、民進党政権の動きを牽制し、
国民党などとの対話路線を、推し進めました。

「中国と台湾は、今でも仲が悪いままなの?」と私。

「政治的には、緊張した関係が続いていたんですが、
 それとは裏腹に、台湾企業の中国大陸進出は、
 飛躍的に、増加していきました。

 2005年春節には、中台直行チャーター便が
 史上初めて就航。

 政治の対立はひとまずおいて、
 経済のつながりを第一に、歩み寄った結果だと
 言われています。」

キーワードは経済

それを更に強力に、推し進めたのが、台湾で
2008年に就任した、
国民党の馬英九(ばえいきゅう)総統です。

馬政権の基本方針は、

経済を先に、政治は後で。
 簡単なものを先に、困難なものは後で」です。
これを中国側も支持した、といわれています。

2008年12月には、中台間の定期直航便が就航し、
中国大陸住民の台湾観光が解禁され、
三通(通信、通商、通航)が開放されました。

2010年には、ECFA(海峡両岸経済協力枠組み協定)
が結ばれ、合計806品目の、関税引き下げ・撤廃が
段階的に進められました。

馬政権後の中台接近を背景として、
台湾人の根強い“反中”感情にも、変化が
見え始めました。

2009年、2010年の世論調査で、

「今後台湾が最も親しくすべき国(地域)は
 どこですか?」の質問に、
「大陸/中国」が33%で最も多いという結果でした。

中国に対する好悪の感情は、別としても
中台交流を支持する世論が、高まって
きていると考えられました。

「何だかイイ感じじゃない。
 このまま、経済関係を進め、政治的問題は、
 棚上げにしたまま、進んでいくのかしら?」

「それが、そうとばかりもいえないんです。
 急激な中国融和を進める馬政権に、
 批判的な声が、高まってきたと言うんです。」

これからの中台関係

馬政権による経済戦略は、見事達成され、
台湾は、中国経済の成長とともに
大きな経済成長を、遂げました。

台湾の大企業は、世界の大手メーカーから製造受託し、
低賃金な中国を生産基地にして、
巨大化した企業が多いのが、特徴とされています。

例えば、アップルの製品は、
台湾企業が中国で組立てて、各国へ出荷しています。

中国は台湾の実業家を優遇し、
中台経済の一体化を、進めてきました。

今や、台湾は輸出額の26.8%を
中国に依存している状況です。

この中国による経済支配、とも言える状況。
その後ろに透けて見える、中台統一というシナリオへ
市民は強い危機感を抱くようになった、といわれます。

2013年6月、馬総統は、
中台間の、サービス分野の市場開放を目指す
「サービス貿易協定」に、調印しました。

この協定を巡り、台湾の中国化への反感、
馬政権の親中政策への不満が、強く顕在化しました。

巨大な中国資本により、台湾のサービス産業が、
壊滅されかねないと、危惧した学生らの大反発を招き、
国会を占拠するという、事件が発生しました。

馬政権は、更に支持率を下げ、
2014年11月の統一地方選挙で、与党・国民党が大敗。
馬総統は責任を取って、党主席を辞任しました。

「次の総統選挙は、2016年だそうですよ。」とAちゃん。

「これからの中国と台湾は、どうなっていくのかしら?
 どちらもお隣の国なのに、本当に何も知らなかったわ。

 Aちゃん、色々教えてくれてありがとう。
 勉強になったわ。」

「こちらこそ、お茶会のこと、よろしくお願いします。
 それじゃ、今日はこれで、失礼します。」

帰り道、公園に植えてある梅の木のつぼみが、
ほころびかけているのに、気づいた。

「そうだ、お茶菓子は近所の和菓子屋の、
 紅梅を模した、上生菓子にしよう。

 それから、少し早いけど
 お雛様を飾って、楽しんでもらおう。
 少しでも、日本の文化を、感じてもらえるといいな。」

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駅前につくと本屋に入り、
台湾のガイドブックを手に取り、レジに向かった。

これからは、お隣の国のことに
もう少し関心を持とう、と思った。

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