おいしいおはなし

宗教教育が子供に与える影響とは?

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もう5年ほど前になりますが、ある春の日曜日、家に宗教勧誘の人がやって来ました。見るからに温厚そうな三十代半ばの女性と、その人のお子さんと思われる10歳ぐらいの女の子の二人連れです。



女性はパンフレットを見せながら「こういう集会には興味はありませんか?」とにこやかな笑顔で問いかけるのですが、あいにく私はそのテの話にはまるで興味を持てないので、丁重にお断りをしました。

女性は特に気を悪くした様子もなく、もし興味が湧いたら、と言い残してパンフレットを置いて行ったのですが、帰った後でなんだか気になってきました。いえ、宗教に、ではありません。一緒にいたお子さんのことです。

こんな天気のいい日曜日に、小さな子供が親と一緒に宗教の勧誘に回る、というのはどういうことなんだろう?あの子は喜んでやっているのかしら?それともこういうことは、世間ではよくあることなんだろうか?

なにぶん初めての体験だったものなので、気になって仕方ありません。で、ちょっとググってみることにしました。


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親と社会の板挟みになる子供たち

社会的に未熟な子供が、自らの意志で特定宗教信者になることはまず考えられません。そこには必ず親の影響力が存在します。

まだ幼い頃に親が特定の宗教に入信したケース、あるいは生まれた時から親が特定宗教信者だったケース、考えられる影響としたら、主にこの二つでしょう。彼らは2世信者と呼ばれています。

2世信者がその教義になんの疑問も問題意識も持たず、支障なく社会で生きていけるのなら、それはそれで構わないと思います。ただ、そうはいかない場合も起こっているようなのです。

問題は、2世信者がその宗派を脱会した場合です。彼らは脱会して一般社会へ戻った時に初めて、幼い頃から刷り込まれた教義の影響が大きすぎて、周囲に馴染めなくなっている自分に気付くのです。

その多くが、主にカルトと呼ばれる宗教団体に属していた元2世です。彼らの幾人かは、ブログやツイッターなどで、一般社会で生きていくことの苦悩を吐露していますが、それらのほとんどがメンタル面での破綻を訴えています。

例えばあるカルト宗教では、実社会は悪の権化であると教え込まれ、一般人との交遊を禁じられます。2世以外に友達を作れない彼らは、学校で孤立し、明らかに周囲とは違う自分に嫌悪感を抱いていきます。

また、運動会七夕会などの学校行事も、宗教的な理由で参加を拒否するよう強要されます。言うことを聞かなければ、体罰です。それが怖くて学校に申し出ても、教師からは参加しろと怒られる始末。まさに八方ふさがりです。

ゲームや漫画などの娯楽も禁止されます。部活や男女交際も禁止。楽しいことはすべてタブーなのです。ある元2世信者は、好きな人に告白されたのに、つきあえない、と答えなければならなかった辛さを告白しています。

こうしたジレンマを抱えながら、子供はどんどん無力感に満たされていきます。庇護者である親の言うことを聞かねば生きていけないことは、幼い彼らにも本能でわかっています。だから教義に必死で従おうとする。しかし理性と感情が乖離してしまう。

この影響トラウマとなって、元2世信者はその宗派から離れた後も、さらに苦しむこととなります。そこでの生き方しか知らない彼らは、一般社会でどうふるまえばいいのかがわからず、アイデンティーが崩壊してしまうのです。




児童虐待防止法への抵触

特定宗教を信じしている親たちは、もちろんその教えが素晴らしいと思っているわけですし、子供に幸せになってほしいと思うからこそ、その教えを伝えているのだと思います。

ただ、何事にも限度があるのではないでしょうか。学校行事への参加や友達との交遊を禁じるのは、いくらなんでも人権侵害の域のような気がします。

児童虐待の防止等に関する法律」では、子供への行き過ぎた体罰はもちろんのこと、心理的外傷を与えることも禁じています。子供の学校生活や娯楽を奪うことは、虐待以外の何物でもありません。

1世信者は自らその宗教を選び取ったのでしょうが、子供は始めからそれを与えられているわけです。それについて頭から否定をすることはしませんが、ただ子供にも自分と同じように選び取る、という機会を与えるべきだと思います。

その機会とは、社会に積極的にかかわらせて、さまざまな体験をさせることに他なりません。そうやって子供なりに社会のルールを知り、人との折り合いを学び、自分にとって最適な生き方を学んでいくものだと、私は思っています。

そのうえで、子供が自分と同じように信者として生きるならよし、また別の生き方を望むなら、それも認めなければならないのではないでしょうか。

ただ信仰というのはとても個人的な問題なので、そういう杓子定規な常識論をどこまで当事者である親に納得してもらえるかは、はなはだ心もとないところもあります。

作家の村上春樹さんが、オウム真理教の信者(あるいは元信者)にインタビューを行った「約束された場所で」という著書の中で、林立するカルト宗教に代わる受け皿のような社会システムが必要なのではないか、と提議されています。

それがどのようなものかまでは具体的に記されてはいませんが、子供に極端な信心を強要する親じたいに問題があるのなら、そういった社会システムの実現を真剣に検討してみてもいいのではないでしょうか。

おわりに

近年になって、児童虐待が社会で問題視されるようになり、体罰や極端な禁忌を実践する宗教は減っているとの説もありますが、その実態はまだ把握できていません。ただ心理的な影響力はさほど変わっていないのではないか、と思われます。



私としては、この間来た子供が、日曜日にどこか楽しいところに出かけられるようになればいいな、と願ってやみません。もちろんお母さんと一緒に近所周りをしているのが楽しければそれに越したことはないのですが…。

子供は親を選べません。だからこそ親には子供を一個の人格として尊重してほしい。そして子供たちにはいつも、たくさんの楽しい思い出を作っていてほしいと思います。


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